日本発 スポーツカー誕生

スカイラインスポーツ(1962-1963年)

プリンス自工(株)がスカイライン1900(BLSID型)と、初代グロリア(BLSIP型)をベースにイタリアのカロッツェリア「ジョバンニ・ミケロッティ」にデザインを依頼して造った、美しいデザインのスペシャリティーカー「スカイライン スポーツ」。

日本初のスペシャルティカーとして、1960年(昭和35年)のイタリア・トリノショーで発表され、1962年4月から発売。エンジンやシャシはベース車両とほとんど共通で、ボディはクーペとコンバーティブルの2種類が用意された。イタリアンデザインのボディは「チャイニーズ・アイ」と呼ばれるヘッドライトを傾斜させた個性的な顔つきと美しいプロポーションが特徴。しかし、ボディのほとんどがイタリアの職人の指導によるハンドメイドだったため価格は高価格になり、総生産台数は約60台の貴重な車。博物館の展示車は、一般的に言われている生産終了年の1963年より後に製造された1964年式のクーペ車両。(1962年、日本)

スカイラインスポーツ
トヨタ スポーツ800

トヨタ スポーツ800 (1965年)

スポーツカーをみんなのものに…軽量で空力性能に優れ大ヒットした車。

1965年(昭和40年)4月、トヨタ初となる2シータースポーツカーとして発売されたのが「トヨタ スポーツ800」。「パブリカ」のプラットフォームに空気力学的にすぐれたボディを載せて軽量に設計。サスペンションはフロントがトーションバー式ダブルウィッシュボーン、リアがリーフリジット。エンジンは同じ空冷式水平対向2気筒でも排気量を約100cc拡大し、ツインキャブレータで出力を増強したものが採用された。本格的なスポーツカーの走りと着脱式ルーフによるオープン走行を手軽に味わえるクルマとして若者を中心に支持された。また、レースの世界では、ライバルとなる「ホンダ S600 & 800」と人気を二分した。

博物館の展示車は、1968年3月のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更された後期型と呼ばれる車型で、最終生産年とされる1969年式。(1965年、日本)

ホンダ S500 (1963-1964年)

ホンダが4輪分野に進出する為の名刺代わりの1台として低価格で販売された。

「ホンダ・スポーツ500」は、1962年(昭和37年)10月に開催された全日本自動車ショー(東京モーターショーの前身)に「ホンダ・スポーツ360」、「ホンダT360」と共に出展され、1963年10月からホンダ社初の普通4輪乗用車として販売された。スタイリングは英国製小型オープンスポーツカーの流儀に沿ったもので、長さと幅は当時の軽自動車より一回り大きかった。エンジンは2輪車のレーシング技術を応用した高性能なもので、許容回転数や排気量当たりの出力は当時の水準を大きく上回っていた。また、2輪車メーカらしくチェーンを用いた駆動方式を採用し、チェーンケースがリアサスペンションのトレーリングアームを兼ねる構造になっていた。

博物館の展示車両は、約500台生産された中の現存する数少ない一台。(1964年、日本)

ホンダ S500
ホンダ S600

ホンダ S600 (1964-1965年)

1963年10月から販売が始まった「ホンダ・スポーツ500」の後継モデルとして、S500のパワー不足を補う為に排気量アップして販売。レース界でも大活躍。1964年3月に発売された。

ボディやシャシー等の基本的な構造に変更はなく、排気量拡大による低速時の扱いを優先させて、全体的に高性能化された。スタイリングも、基本的なプロポーションは同一ながら、ラジエーターグリルとフロントバンパーのデザイン変更により、全幅の数値が若干、小さくなった。また、カタログに於ける名称も「スポーツ」の表記がなくなり、スポーツを表すアルファベットの「S」だけになり「ホンダ S600」と表記される。

博物館の展示車、標準モデルの他に、ラジオやヒーター、助手席サンバイザーなどの快適装備を備えたデラックス版の「S600M 」が設定された。(1964年、日本)

トヨタ 2000GT 後期型(1969-1970年)

1967年(昭和42年)5月、トヨタ自動車が同社のイメージリーダーカーの役目を担って発売したのが高級2シータースポーツカーの「トヨタ 2000GT」。谷田部のテストコースで3つの世界記録と、13の国際記録を樹立した。

X型バックボーンフレームに架装されたボディは、ハッチバックタイプのリアゲートを持つ2ドアクーペで、ロングノーズ&ショートデッキのスタイリングにリトラクタブル式ヘッドライトを採用した低いフロントノーズが特徴。開発や製造はヤマハ発動機(株)との共同作業により行われた。サスペンションは4輪ともコイルスプリングとダブルウィッシュボーンによる独立懸架で、ブレーキは国産車初となる4輪ディスクブレーキが採用されていた。

1970年の生産終了までに試作車も含めて337台が生産され、フロント部のデザイン変更が行われた、1969年8月のマイナーチェンジを境に前期型(1967-1969年)と後期型(1969-1970年)に分けられる。博物館の展示車は後期型となる1969年式車両。(1969年、日本)

トヨタ 2000GT 後期型
コスモスポーツ

コスモスポーツ (1967-1972年)

夢のロータリーエンジンを搭載し実用・量産した歴史上、世界初の記念すべき車。

1967年(昭和42年)5月に発売。2ローター方式のロータリーエンジンは、低回転から高回転まで、モーターのようにスムーズに回転するのが最大の特徴。2シーターのクーペボディは、コンパクトなロータリーエンジンの長所を生かしてボンネットラインを低く抑えた、全高が極端に低い未来的なプロポーションを採用していた。サスペンションはフロントにコイルスプリング式ダブルウィッシュボーン、リアはリーフスプリングとド・ディオンアクスルを組み合わせたリジットタイプ。

1968年7月のマイナーチェンジで、ホイールベースの延長、エアインテーク拡大、トランスミッションの5速化が行われた。博物館の展示車は、マイナーチェンジ後の後期型と呼ばれる1969年式「マツダ コスモスポーツ」。(1967-1972年、日本)

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