トヨペット SA型(1948年)
1947年(昭和22年)10月、トヨタ自動車が初めて小型車枠の2ドアセダンとして発売したのが「トヨペット (SA)」。名称は一般公募で決められ、流体力学を考慮したボディ形状のほか、居住性の向上を図ったY字型バックボーンフレームや4輪独立懸架のサスペンションなど、当時の欧州車の水準に照らしても極めて進歩的な機構が採用。水冷式の4気筒1.0Lエンジンはフロントに搭載され、後輪を駆動。当時のトヨタは、エンジンからボディに至る一貫生産体制が構築されておらず、トヨタが生産したエンジンやシャシーに架装業者がボディを載せて完成させる形で生産された。あまりに先進的なコンセプトや2ドアボディは、当時の乗用車需要の大部分を占めたタクシー用車両には適さず、生産台数は約200台強で、商業的には成功を収められなかった。展示車は1948年式車両。(1948年、日本)
トヨタ 2000GT(1969年)
1967年(昭和42年)5月、トヨタ自動車が同社のイメージリーダーカーの役目を担って発売したのが、高級2シータースポーツカー「トヨタ2000GT」。X型バックボーンフレームに架装されたボディは、ハッチバックタイプのリアゲートを持つ2ドアクーペで、ロングノーズ&ショートデッキのスタイリングにリトラクタブル式ヘッドライトを採用した低いフロントノーズが特徴。開発や製造は、ヤマハ発動機(株)との共同作業により行われた。サスペンションは4輪ともコイルスプリングとダブルウィッシュボーンによる独立懸架で、ブレーキは国産車初となる4輪ディスクブレーキを採用。1970年の生産終了までに試作車も含めて337台が生産され、フロント部のデザイン変更が行われた1969年8月のマイナーチェンジを境に前期型と後期型に分けられる。展示車は後期型となる1969年式車両。(1969年、日本)
ジオット キャスピタ(1989年)
スバル、童夢、ワコールの3社が市販を前提として共同で制作した和製スーパーカー。「公道を走れるF1マシン」を目指したスーパーカー。1988年に服飾メーカー「ワコール」の出資で設立された「ジオット」が企画し、「童夢」と「スバル」の共同開発により生まれた。当時、ワコールは男性用ライセンスビジネスを展開しようとしていたこともあり、スポーツカーはそのイメージコアとしての目的を持っていた。日本初の量産スーパーカーとして期待されたが、市販化に至らず終了した。第28回 東京モーターショー スバル参考出品車(1989年、日本)
ド・ディオン ブートン(1899年)
20世紀に大発展したガソリン車の基礎的技術を確立した元祖の車。当館で一番古い車両で、フランスのドディオン伯爵と玩具職人のジョルジュ・ブートンの合作。はじめは蒸気自動車を発明し、その後、1897年にガソリンエンジンを動力とする本格的な乗用自動車を世界に先駆けてつくりあげた。当時、パリのレースで人気が高かったスピード感のある3輪車に負けない為、軽量4輪車を開発し、エンジンは出力を1.75馬力から、2.25馬力にアップし、3輪車に劣らない優れた性能を得た。(1899年、フランス)
ベルリエ VG22型
大正時代に輸入されたフランス製のお洒落なデザインのツーリングカー。ベルリエ社は、1895年にマリウス・ベルリエによって創立され、高級乗用車の製造を行い、後には軍用車、トラックなども手掛け、1967年、シトロエン社に吸収された。この車は大正時代に個人の輸入業者、山口勝蔵商店の手により日本に輸入されたもので、ヨーロッパの高級車を数多く輸入したことから「山勝」の呼称で知られるようになった。V-G22型はオープン・スポーツ・ツアラーで宮家のレジャー用に供されたもので、1996年12月より、日本自動車博物館にて展示。(1922年、フランス)
ランチア ラムダ トルペード シリーズ8(1930年)
ランチア(伊)が世界で初めて全鋼製モノコックフレームを採用して、1922年(大正11年)10月のパリサロンで発表したのが「ランチア ラムダ」シリーズ。ラダー型フレームとボディを組み合わせた当時の他の車両より強度が非常に高く、軽量に造られた。また、前輪に採用された独立懸架方式も当時の量産四輪乗用車としては世界初で、ばね下重量の軽減と路面追従性の改善に効果を発揮し、乗り心地と操縦性の向上に貢献。軽合金製ブロックのエンジンは、狭角V型4気筒SOHC方式を採用し、小型・軽量に設計されていた。斬新で近代的な基本設計により、発表から10年間に渡って小改良を加えながらシリーズ9まで進化し、約1万2千台が生産された。展示車は1930年生産の「トルペード(ツアラー)」と呼ばれた4座オープンで、ショートホイールベース版の「ランチア ラムダ シリーズ8」。(1930年、イタリア)
アルヴィス スピード 20 SC 4 ライトサルーン(1935年)
1932年(昭和7年)、ロールスロイスやベントレーと並ぶイギリスの高級車メーカーのアルヴィスから発表されたのが「スピード 20」シリーズ。「SA」から始まり、1936年に生産終了する「SD」まで発展。各シリーズとも「4ライトサルーン」と呼ばれる4ドアセダン、「ドロップヘッドクーペ」と呼ばれる2ドアセダン、「4シーターツアラー」と呼ばれる4座席オープンカーが設定された。1934年9月発売の「SC」からエンジン排気量が拡大され、フロントサスペンションが独立懸架に進化。1930年代のイギリスにおけるコーチワーク(ボディ製造)のベストのひとつと言われる「Charlesworth」製の上質な仕上げと、美しいプロポーションが特徴。当時の有名な政治家や俳優などの著名人に加え、中東の王族達がオーナーとして名を連ねた。展示車は1935年生産の「アルヴィス スピード 20 SC 4ライトサルーン」。(1935年、イギリス)
パッカード スーパーエイト ツーリングセダン(1937年)
第二次世界大戦以前、「キャデラック」、「ロールス・ロイス」、「メルセデス・ベンツ」などと並び、世界を代表する名門高級車メーカーの「パッカード」が生産するV8エンジン搭載車は、1933年(昭和8年)モデルより「エイト」と「スーパーエイト」の2系統に分割され、系統毎に2種類の長さのホイールベースを持つシャシが設定された。各シャシに組み合わされるボディは、セダン、クーペおよびオープンボディと幅広く用意された。翌年からは、各系統に設定されたホイールベースが3種類に増やされ、さらにワイドレンジ化した。展示車は「スーパーエイト」の中でもミドルレンジに位置する4ドアモデルで、「ツーリング セダン」をベースに、前席と後席を仕切るガラス製のパーテションを取り付けて2名分の補助席を装備した1937年型「パッカード スーパーエイト ツーリング セダン」。(1937年、アメリカ)
フォルクスワーゲン セダン エクスポート(1950年)
1945年(昭和20年)から本格的な量産が始まった「フォルクスワーゲン セダン(タイプⅠ)」は、空冷式水平対向4気筒エンジンを車体後部に搭載した後輪駆動。発売当初のボディカラーが黒色のみでメッキ部品が一切使用されていなかったことと、昆虫のような独自のボディ形状からビートル(カブト虫)の呼称が付けられた。特徴的な2分割タイプのリアウインドウの後方視界はほとんどゼロに近かった。サスペンションはフロントにトレーリングアーム、リアにスイングアームを用い、それぞれにトーションバーを組み合わせた4輪独立懸架方式。ダッシュボードには燃料計もなくスピードメータだけだったが、1949年3月にクロームメッキのバンパーやボディモールが採用された豪華仕様の「エクスポート」が追加された。展示車は1950年型「フォルクスワーゲン セダン エクスポート」。(1950年、ドイツ)
メルセデスベンツ 300SL(1955年)
ガルウィング・ドアが特徴のスポーツカー。ダイムラーベンツがレース用に造ったプロトタイプレースカーを見たアメリカの輸入業者が1000台の確定注文を行って製造販売が始まったと言われているのが「メルセデス ベンツ 300SL」。1954年(昭和29年)のニューヨーク国際オートショーにおいて「ベンツ190SL」と同時に発表された。2人乗りクーペボディ最大の特徴は、カモメが翼を拡げたように見えるガルウイングと呼ばれる左右のドアで、ボディ剛性を高めるためにボディ両サイドに通った幅広のサイドシル(フレーム内蔵)を越えて乗り降りするために苦肉の策として採用された。高圧燃料を燃焼室内に直接噴射する方式のエンジンを世界で初めて採用した。1957年春にロードスターが追加され、クーペの生産は終了して在庫販売のみとなり、ロードスターの生産は1963年まで継続。展示車は1955年生産の「メルセデス ベンツ 300SL」クーペ。(1955年、ドイツ)